←目次へ戻る 岩男潤子的大衝撃
(How do I fall in love with Junko Iwao and Hikari Horaki.)
岩男潤子の子供たち

第一次接触 (ファースト・インパクト)

 1994年も終わりに近づいた冬だった。土曜の18:00、NHK総合の「モンタナ・ジョーンズ」を見たときに、初めてその声を聞いたのだった。メリッサというキャラクターは、好奇心が旺盛でいつも冒険考古学者モンタナを困らせるお嬢様なのだが、明るく透明で、でも女性のかわいらしさを秘めた声が印象に残ったのである。

 しかし、残念なことにこの時点では、名前を覚えるまでにはいたらなかった。でも、それでよかったと思う。もし、ここでファンになって、アルバム「はじめまして」を聞いていたら、決していま、こうしてこんなページをつくっていることはなかっただろう。このアルバムは著しく僕の好みから外れているからだ。

 とにかく、この時は袖摺り合っただけで2年後の衝撃の相手になるなどとは、神ならぬ身の知る由もなかったのである。


第二次接触 (セカンド・インパクト)

 1996年春。新世紀エヴァンゲリオンのLD第一巻。「ふしぎの海のナディア」をつくった庵野監督が今度はどんな作品をつくったのかを確認するために購入した。オープニングが始まる。カット数が多いとアニメージュに載っていたが、ナディアよりはオープニングの出来がいいな、どんな雰囲気の作品かが感じられる。ナディアは人物とメカの紹介だけで精一杯だった、歌詞もこっちが上だな、などと思って見ていたとき。

 わずか0.2秒、たった6コマの映像が僕を釘付けにした。(洞木ヒカリの欄に掲載、動画だともっと魅力的なんだけどね)
 「あぁっ、この子はッ!!!」と、見た瞬間に感じた(求めていた存在!)オーラを浴びたと言ってもいい。彼女こそが僕にとっての何かになるという啓示めいた予感――。でもLD第一巻には彼女は出てこなかったのである (T_T)

空のオカリナ そこで、値下げされたばかりのSEGAサターンとサターン版エヴァンゲリオンを買った。そのなかで、洞木ヒカリが「奇跡の戦士エヴァンゲリオン」を歌っていたのだが、声優らしからぬ歌のうまさとそれ以上の何かに驚いた。もっと、この人の歌を聴きたい。それでまずCDシングル「空のオカリナ」(NHKみんなの歌)を買って聴いたのだが。Entrance

 何てやさしくて、透明で暖かい声なのだろう。「耳を通り越して心にとびこんでくる」という表現は彼女の歌を聞かなければ生まれなかったフレーズである。でも、これはまだ序の口。セカンド・アルバム「Entrance」で、完全に潤子さんのファンになった。そして11月。写真集「シルフ・ザ・エターナル」で彼女の幼い頃のこと、そして13歳で上京したことを知ったのが、最大の衝撃だった。

 俺は何をしている? 大学卒業して就職して10年、何をしてきた? 幼いころ似たような境遇の彼女が13歳で上京して、こうしてがんばっているのに恥ずかしくないのか! もう、怠惰に身をまかせるのはやめだ。何でもいい、ただのファンとして彼女のエネルギーを受けるのではなく、僕も何かを創る(表現する)ことで、エネルギーを潤子さんに還元したい。このへんの気分は「家なき子レミ」のED「しあわせの予感」の「心をあたえあう」という言葉に影響されたものだが、それはともかく。

 こうして3ヶ月後の1997年2月に、このホームページの原型がオープンした(12月〜1月はスピーカーD−58を作っていた)。でも、ここはファンとしてのページで、僕が注力しなければならないのはオリジナル・ノベライズド・アニメーション「創世*神器アィデオン」のページである。これを完成させることが、いまの僕の目標である。

 なお、ページタイトルの「岩男潤子の子供たち」は、もちろん彼女の作品も意味しているが、もうひとつ僕の創作物という意味も含まれている。なぜなら彼女に出会うべくして出会わなければ、それらは陽の目をみることなく闇に埋もれていたからだ。僕の中の創作物にとって彼女はまさしく世に生まれるためのヒカリだったのである。


第三次接触 (サード・インパクト)

 これはまだ起きていない(笑)。実際に潤子さんに会ってお話をするとき、と勝手に決めている。そのとき、人類が生まれ変わるかどうかは誰もしらない(爆)。
 これから先、10年,20年,30年、ずっと終わりのときまで、ともに歩いていこう。

 1997年12月29日、コミケ会場のイベントで潤子さんの姿をチラリとだが、拝見することができた。やはり、彼女は僕にとって特別な存在であることを再確認した。潤子さんの歓びは僕の歓びだし、潤子さんの悲しみは僕の悲しみである。この気持ちが愛でないとしたら、僕は何を愛と呼んでよいのか、わからない。たとえ、それが一方通行のものであったとしても、だ。

 僕は高村光太郎(1883-1956、詩人・彫刻家。正気を失っても彼が愛し続けた智恵子夫人を題材とした詩集「智恵子抄」が有名)の生き方に憧れる。
CDジャケット写真は(株)ポニーキャニオン殿の掲載許可が保留の状態ですが、当ページの補足資料として必要と判断し、掲載しています。転載・複製等はご遠慮願います。
Last Update : 10/07/1999