昨日は、いろいろありがとうございました。
引き続いてのオフ会、お疲れ様でした。
久しぶりに聴く長岡CW型バックロード。
無駄な音のしない独特の音を極小音量で慈しむように耳をそばだてて聴かれる鈴原さんのスタイルは意外でした。以前自分で鳴らしていたD−5の音を思い出してみても、鈴原さんが繊細な感覚で余分な音を丹念に取り除いていかれているのがよく分かりました。
しかし、最後に鳴らしていただいた生録の花火の炸裂音はまさに眼前爆発の音量で、D−58ならではの迫力満点でした。
ただし、スピーカーというものは本質的にいろいろな矛盾を抱えているもので、所々で妥協点を見出しながら問題点をクリアしていかないと苦しくなることも多いと思います。
ある所を完璧にしてしまうと、他の箇所にしわ寄せがくる。
エンクロージャ周りをあまりにも完璧に整えられた鈴原D−58で聴く音楽は、ユニットに逃げ道がないためか、ちょっと窮屈な鳴り方に感じる時がありました。
弦楽合奏のフォルテになった時の音色と音場の膨らみ、オーボエのリードの湿り気を感じさせる音、ビブラフォンの音の独特のたわみと余韻、などがドライで痩せた感じに聞こえました。
これからは、振動を極力止めるという手法だけに偏るのではなく、適度に振動を利用するという余裕ある対策をされていかれればいかがでしょうか。
一例として、板を鳴らすと低域が緩むというイメージがありますが、共振が分散して逆に引き締まった抜けの良い低域になることがあります。
ある知人が、アルテックの歯切れの良い低音に感激して、オリジナルのA−7の板よりも厚く徹底した補強でびくともしないような箱に入れれば、オリジナルよりもっとすごい低音がでるに違いないと意気込んで頑丈極まりない箱を作り上げましたが、結果は抜けの悪い重い低音になってしまいました。トータルの共振が一箇所に集中した結果です。
正しい音でなくても楽しめる音、正しくても楽しみにくい音、いろいろあります。
高解像で隅々までピントが合っているがモノクロームの映像と、そこまでの解像力はなくてもカラーの映像。
スターウォーズの映画を見た時どちらが楽しいか、まあ、人によって違うかも知れませんが・・・。
いろいろな音楽を楽しんで聴くというそもそものオーディオの原点を再確認しながら、その手腕を発揮していただきたいと思います。ありがとうございました。